「ありがとう」について

感謝とは不思議なものだ。
心にすっと沁みる雨のように優しいときもあれば、首輪をつけられたように息苦しく感じるときもある。
自分が誰かに感謝するときは「それは良いことだから」と軽く口にできるのに、
いざ受け取る立場になると、どこか怖くなり、手放したくなる。
そうなると、感謝の本来の意味はどんどん薄れていってしまう。

感謝の影の側面

感謝にはもちろんメリットがある。
でも、それは本心から出たときだけだ。
習慣的に、あるいは惰性で「ありがとう」と言っていると、
感謝すべきものとそうでないものの区別がつかなくなっていく。

そしてもうひとつ、もっと厄介なのは「自己欺瞞としての感謝」だ。
救いようのない相手に、皮肉を込めて「ありがとう」と言う。
それは周囲から見れば善意に見えるし、当人は何の疑いもなく受け取る。
その結果、相手はますます傲慢になり、やがて誰からも無視される存在になる。

皮肉まじりの感謝は、最大の攻撃になり得る。
そしてその快感に慣れてしまうと、自分のほうが壊れていく。

ありがとうを取り戻す

感謝を乱用して自壊するのは、建設的なコミュニケーションから逃げてきた罰だ。
「ありがとう」は、もっと単純であっていい。

誰かに優しくされたとき、
嬉しかったとき、
楽しかったとき、
幸せだったとき、

その瞬間に、素直に口から出る「ありがとう」こそが本物だ。
それだけで十分だし、それ以上を無理にひねり出す必要はない。