スモモも桃も俺のもの

スモモも桃も、どちらも甘い。
けれど体は、どちらを食べても必ず拒絶する。花粉の季節になると、果物の甘さと喉のかゆさが交差反応のように重なり、いつも失恋に似た感覚を思い出す。

食べられると思ったものが、食べられない。
心を許した人が、急に遠ざかる。
それはいつだって紆余曲折の果てにやってくる。

昼の光はまだ柔らかいのに、午後の風はどこか冷たく、肌に触れるたび胸の奥でわずかなざわめきがくすぶる。
果物の甘さが喉を通るたび、微かな違和感がひそかに顔を出す。

どちらにも嫌われないように、他のドライフルーツに手を伸ばす。
指先で触れた瞬間、わずかな胸騒ぎ。甘さを確認しながらも、気分の位置がどこにあるのか確かめずにはいられない。

そして最後に、干し柿を口に入れる。
「これは果たして失恋の残り火か、それとも紆余曲折の果ての奇妙な安らぎか」と考えながら。

……ただ、一つだけおかしなことがある。
干し柿を食べたことはない。
それなのに、どうしてその味を知っているのだろう。

そして口に入れた瞬間の甘さと違和感が、心の奥でひそかに蠢く何かを映しているように感じられた。

――俺は、そこにいる。