子猫

ほとんどセミが鳴かなくなった夕方、眠っていた僕の耳に、子猫の声が届いた。

窓を隔てたすぐ向こう、アパートの隣家との細い小走りのあたりで鳴いているらしかった。
にゃーにゃーと、途切れながらも繰り返す声は、夢の底から現実へ滲み出るように聞こえてきた。

隣の家の住人も、このアパートの住民も僕を知らない。
同じように、僕も彼らを知らない。
皆、名も顔も知らないのに、鳴き声だけを共有している。
僕に聞こえるのだから、きっとあの家の中にも届いているはずだ。
だが、誰も出てこない。誰も声をかけない。

僕は半分眠ったまま、鳴き声の向こうに小さな影を思い浮かべた。
母猫は近くにいるのだろうか。
お腹は空いていないだろうか。
姿は見えないのに、声だけが次第に大きなっていく。

やがて雨が降り出した。
ザーザーと屋根を打ち、路地に水を溜め、音はあっという間に部屋の奥まで押し寄せた。
夏の湿った匂いではなく、妙に澄んでいて乾いた匂いの雨だった。

雨の音は鳴き声を呑み込んだ。
それきり子猫の声は聞こえなくなった。

僕は、雨が止んだ後もしばらく耳を澄まし続けた。
にゃーにゃー。
もう聞こえるはずのない声を、耳の奥が探していた。