「そういう人」たち

身近にいる「そういう人」たち

世の中には「そういう人」という不思議な位置づけの人間がいる。
ほんの一例だが、例えばこんな人たちだ。

・玄関先で配達物を下着で受け取る人
・髭がボーボーの人
・食事中にくちゃくちゃする人
・部下や店員に怒号を浴びせる人

彼らには、独自のルールがあり、他人の目などは気にしていない。
というより、そういう世界で生きているのだから、気にする・気にしないという尺度そのものが存在しない。

「人前で下着でいて恥ずかしくないの?」とか
「なんで髭をそらないの?」とか尋ねても、
返ってくるのは、
「剃り忘れちゃった、まぁいっか」とか
「ここ俺の家だし」のような妙に説得力のある生活圏ローカルのロジックだ。

このくらいの「そういう人」ならまだ可愛げがある。
彼らに対峙した際には、
「あの人髭がボーボーだったね」と思わず一緒にいる人に共有したくなるだろうし、
配達員さんも社内で
「あの人いつもラフで、もう慣れましたけど」と報告して終わる。
良くも悪くも、社会の表層で止まる。
正直、微笑ましい。
私が目指す、気軽に生きる脱力系の「そういう人」像でもある。

一定ラインを超えた「そういう人」たちの進化

問題はここから。
一定ラインを超える「そういう人」たちは、
ポケモンのイーブイみたいに多種多様な進化が待っている。
老害、意識高い系、自分語りモンスター、
会話クラッシャー、聞く耳ゼロ人間、馬鹿、
化石メンタル、昭和脳、
メンヘラ、かまってちゃん、地雷系メンタル、
無能、イキリ、ヤばい奴、、、(まだまだあるかも)

言うほど多種多様でもなかった。
この中から、6体選んで旅に出ると、全員にメンタルハーブを所持してもらうことになりそう。あと、多分エスパーか格闘あたりのジム戦で詰んで終了だ。

人間は社会の中では進化せず、
生活圏の中で劣化していく

彼らは炎の石や雷の石では進化しない。
生活圏と人間関係があれば勝手に進化する。

昭和脳はブラック企業という苔むした遺跡で進化、
意識高い系はSNSというブースト装置で進化、
メンヘラは対人依存という毒の沼地で進化、
老害は「自分だけは正しい」という聖域で進化する。

「原宿系ファッション」のように気軽に楽しめる場所では、
「そういう人」をソフトにかっこよく着こなす人もいるんだろうけど、
「置かれた場所で咲きなさいっていうから咲いてやったわwww」って言って
会社で老害とかに進化されても困る。

生活圏が狭い人の、自分のルール=世界のルールではないし、
気にしい人の、他人の生活圏=世界のルールでもない。

一億総ナルシスト時代

これもSNS社会の弊害だ。
誰とでも気軽につながる弊害として、必要以上に他人の目を気にしたり、
変に見栄を張ったり、自分に嘘をつくのが上手になっていく。
その結果、本来は不要な比較に煽られながら生きるのを、
まるで自身の生活圏だと勘違いする気にしいが増えていく。
そして気にしいの多くはナルシストだ。
つまり、現代は、一億総ナルシスト時代ともいえる。
誰もが知らないうちに自分の虚像を育ててしまう。

自身のナルシシズム

最近、私のナルシシズムも上がってきた。
根拠のない高揚感、意味不明な自信。
毎朝、運動しているからか余計にそれら感じる。
1,2年後の自分が怖い。

スマホを手放し、煩わしい人間システムから逃れたぞ!
なんて勝ち誇っていたら、待っていたのは自分だった。

まさか自分自身が檻だったとは。仕方がないので、面倒な自分の世話をしている。

「社会の隅っこ」に興味がわいてきた理由

リゾートバイトの情報を届けて、その対価としてお金を稼ぐ。
ブログの原点はそこにあった。

大学卒業から約3年弱のリゾートバイト生活で、
兎に角「そういう人」を観察していたら、
いつのまにか、社会の隅っこに興味が湧いていた。

そして今、私がこのブログでやりたいこと

今はこのブログを通して、
逃亡者、遺族も、警察、読者、島で出会った人たちも、
それぞれが本来いるべき「生活圏」に返す手助けがしたい。

単に、事件を解決するという話ではない。
社会の片隅には、
帰る場所を見失ったまま漂っている人たちがいる。
彼らを正面から裁くのではなく、
その人たちが、自然と輪郭を取り戻せる場所を示すこと。
その役割なら、このブログにもできる気がする。

宮沢賢治【雨ニモマケズ】の「ソウイフモノ」の人物像とはかなりかけ離れているが、
程よく「そういう人」として生きることができたのなら、
人生及第点合格な気がする。